Bitter Sweet Samba

シュガアの言葉。甘くて苦い、どころか劇薬クラスに辛口。

アカペラライブの変遷とチケット代金[4]
短期集中連載というカンジであります「アカペラライブの…(以下略)」ですが、[2]の終わりで持ち越した話題を、実は[3]で触れていません。これは[4]をもスルーして、やるかもしれない[5]に持ち込むんではないかと思います。たはは(失笑)
読む人間を限るだろう、このシリーズ、遂に「アカペラ街」です。テレビで放映されたこともあって舞台の筋立てetc.説明いらないかもしれないっすねえ。


■アカペラ街(2002)
年明けからの「永遠に」から始まったブレイクの嵐の中で行われた公演。通常ツアー以上にチケット争奪戦が激しく、とりづらさは初回から言われ続けていたアカペラライブということを、ここに来て身をもって知った人も多いだろう。
話としては、あちこちで書かれているものと同じ。まあ、つまるところ
「1994年、50年後の未来から安岡の息子がやってきて?」
かと。
ところで。1994年、ゴスペラーズのデビューした年である。開演前のSEに「風の吹き抜ける場所へ」byFLYING KIDSが流れたところで歌いたい症候群に襲われるところが恐ろしいが、のう(苦笑)<FKが好きだった人。
ただ、細かいところを突っつくと「あの5人になって、ストリートライブを行う間もなくメジャーへとなだれ込んだんじゃねーのか?だって焼肉食べて結束を固めた直後、佐藤善雄さんとこ挨拶行ったら、プロデューサーの中山さんがいたんだろ?」とか「安岡さんはひとり暮らしをしていない時期じゃないのか(実家から通っていたんじゃないか、大学まで)」等、事実との矛盾点が山のように噴出するのである。が、アカペラライブで事実を再現するわけじゃあないんだという点で、私など目を瞑っていられるのだが、問題は、これを事実だと思う人間がいるということだろう(きっといるに違いない)。
自ら自己修正しないと勘違いする人間はいると思うのだが(起爆)とまで言うのはデビューしたての頃、安岡さんなんて自己紹介の「安岡です」しか喋れなかったんだからなッ(大起爆)@某bayfm『fayfactory』1995.02.02放送分より、とか思うからだろうか。
閑話休題。
物語の終わり=本編終了、そして、テーマ曲「星屑の街」といった点で前作を踏襲しているのは明らかで変更も何もないのだが(苦笑)そんな中で、前作と明らかに違う点のひとつが「話がコメディーへと転換した」ということにあるだろう。
シリアスなものよりコメディーとして物語を成立させるというのは数倍難しいものである。それもあって演出方法も前作強かった「双数姉妹路線」というものより、私には「キャラメルボックス的」だと観て取れた。
誰も悪い人が出てこない(出る人すべてが善人である)、話の筋立てが前作のように「解釈によって変わる」ものではない(非常にわかりやすい)、最後は大団円(やってきた息子・マコトを認めていなかったはずのヤスオカもアッサリ彼を受け入れて部屋に招き入れていて終わる)である、笑うところは笑わせて泣かせるところを織り込んでキッチリ泣かせるetc.…というのが「ともすれば、方法論としてキャラメルなの?」などと思った理由だが(苦笑)
前作との違い、もうひとつは「脇役から主役へ」である。
それまでの舞台は役者を配することで、役者に話の大きな進行を任せていたように思う。そういった点で、彼らは脇役であった。確かに彼らも舞台にあがり、今までよりボリュームのある(だろう)科白を言う。
しかし、この時ほど表に出て大幅にやっていたかというと、それまでの舞台では思えなかったことなのだ。
確かに彼らの出るパート(ex.アカペラ人でいえば床屋の4兄弟のシーン、アカペラ門でいえばナオトを囲んでナオトに話しかける5人の天使のシーン)、彼らのうち一人と役者が絡むパート(ex.アカペラ門でいえば天使役の安岡とナオトの兄とが会話を交わすシーン、アカペラ人でいえば未来の考古学者に捕まって質問を受ける酒井雄二など)はある。が、舞台進行の上で彼らが出ていない時というのが存在していた。
それがない、と観終えて思えるくらい彼らが前面に出て、それぞれの役で生きていたという点では、この時が最初になったように思う。
つまりは「役者は役者、彼らは彼ら」という線引きを初めて外すことができたのが、この「アカペラ街」であり、本当の意味で6人全員主役として舞台に立つことが出来た点で大きいというのだ。
この時のチケット代金、及びパンフレット代金は前回同様。つまりは芝居三部作からのチケット代金は横ばいなんである(苦笑)


ということで考察状態の文章は終わりにして。
最後に[5]として書くかもしれない、とした芝居三部作に関する考察をツラツラと書こうかと思います。

2002/07/10


アカペラライブの変遷とチケット代金[3]
後半戦となりますか。
今までの流れをザッとおさらいすると
・[1]では「アカペラ貴族」「アカペラっぽいの好き」に関して
・[2]では「アカペラ○」芝居シリーズ3部作の1作目、「アカペラ人」に関して
今回は[3]として「アカペラ門」からスタートしたいと思います。細かいことは[1][2]を読んでください。


■アカペラ門(2001)
前作「アカペラ人」との対比で、まず、この舞台を切っていきたい。
・テーマソングの有無
前作「アカペラ人」でテーマとなる曲を挙げてみよとなると、かろうじて1曲目に歌われただろう「未来」に集約されそうだが、明瞭明快に「テーマ」としては全体を包括していない。
ところが「アカペラ門」では1曲目に「各自のソロの歌い継ぎ」という形で披露された「One More Day」が歌われている。それは本編最後に再度「各自のソロの歌い継ぎ」という形ではなく、5声による「One More Day」が歌われることでテーマソングとして本格的に機能している。
「テーマソング」を設ける手法を取り入れたことで生まれる効果としては、冒頭で物語を印象付け、物語のエンディングでもう一度繰り返すことで更に印象付けることであろう。
このことで、この物語の根幹を支えたのは「One More Day」であると明示することに成功している。
・アンコールまでの流れ
「アカペラ人」と「アカペラ門」とで構成の違いの中でいちばんに浮き彫りにされるのは「アンコールまでの流れ」であろう。
「アカペラ人」では前半1時間ほどの芝居+後半1時間ほどのアカペラライブという状態で中途半端さはぬぐえなかったが、「アカペラ門」で初めて前半後半という区分なく2時間の音楽を組み込んだ芝居として機能し始める。
つまり物語の終わりこそ、本編の終わりである。より芝居的な要素を強めたのだと言ってよいだろう(と、同時にこの時期に言われたのが「より双数姉妹色を強めた」というコメントであったのを付記しなければならない。衣装、手法として双数姉妹の色が前作より強い、というものだ。双数姉妹はゴスペラーズのステージの演出を手がける小池竹見氏が演出家として参加している劇団)。
ゴスペラーズのライブの醍醐味として取り上げられやすい「なりきりゴスペラーズ」のパートも、この時に物語の中に組み込まれた形で行われている。
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物語を考える上で、弟役「ナオト」の捉え方で随分と変わってくると思うので踏み込んで書いていきたい。そうしないと物語の説明にならないと、私個人が思うが故に。
ひとつは目の見えない少年=ナオトという捉え方。
途中、兄が雪を知らないナオトに、雪の説明をするくだりがある。雪は冷たくて、触れるとすぐに消えて、そして白い。この白いというところで、兄は「白い」ことを知らないナオトに気付いて口をつぐむ。
「白」というのは当然ながら色だ、色というのは視覚を通じて白だと認識するのであって眼が見えなければ当然、色という色は認識不可能である。だから「白い」と言っても理解できない、わからなくしてしまう、だから「白い」と言ってはいけなかったのだ。
もうひとつが、暗示的に。「目の見えない」ということで「心の目を閉じている」ことを意味するのならば、心を閉ざして自閉していく少年としてのナオトという観点。
兄や周囲に心を閉ざすナオトは「5人の天使(出来損ないの5人の天使=ゴスペラーズの役どころ)の声を聴く」そして、その5人の天使のいる世界に閉じこもっていく(とナオトの兄は思う、だからこそ弟をその世界の外に出してやろうとする)。
ナオトという少年を、どちらに重きを置くのかで
・目の見えない少年が雪という存在を知るまで
という話に落ち着く人もいれば、その一方で
・心を閉ざした少年が、心を開くまで
という話に受け取る人もいる。ちなみに初見段階の私が思ったのは後者の「心を閉ざした少年が心を開くまで」という物語であり、心を開いた時が5人の天使との決別を意味するのだと思った、という按配だ(自爆)
「雪」という存在を「三重苦のヘレン・ケラーが「水」を知ったことでモノには名前があると知って、外の世界を知っていく手がかりとしていった」媒介として存在しているのではないか?と思うと、話としての辻褄があうように思えたのだが…(汗)
要するに、ナオトの世界を壊すキッカケとしての「雪」であり、壊れることでナオトは新しい世界に足を踏み出していく。そして雪を知った時こそ、それまでいた世界、そして5人の天使との別れを意味する。といった按配に。
まあ、物語の筋立てを書くだけに文章これだけ書いちゃうよ!!的な、それはそれは深い、深い「深い森」以上に奥が深い物語であり、「アカペラ街」を知る人間からすれば、それは見事な笑いのない(笑える箇所は数箇所あるけれど、あんなに演芸場状態にドッカンドッカン笑いの池に突き落とされても這い上がるような、といった笑いではない)シリアス路線である。
と書いたところで小休止。
肝心のチケット代金、税込5,500円変わらず。パンフレットも変わらず2,000円だったような(苦笑)


「アカペラ人」か「アカペラ門」か、どちらの公演か失念しているが、私がこの記述を思いついた時に「チケット代金」に着目したのが、このどちらかの公演中のMCでのこと。
酒井雄二氏がチケット代金を幾らか全然知らずに公演を続けていた…、というのが掴めてしまったからである。「幾らだっけ?」とは…
あのねえ、通常ツアーより高いんだからさあ(苦笑)
それにアカペラライブは丁寧に値段が毎回毎回、あがってんですけどねえ?
加えて言えば初回なんて5,000円しないで観れたんだしさあ(起爆)
と思ったら最後「卓袱台持って来い!!アタシがキレイにひっくり返してやるッ」という精神状態に片足を突っ込んだ(大爆笑)というわけだ。

さて。5,500円が高いのか安いのか、それは人それぞれだろう。
5,500円の価値があるものを観れるのならば、それは安い。けれど、そうでなければ、そう思えなければ、高い。そう思うのだが。

長くなったので次に話を繰り越します、次は「アカペラ街」です。


2002/07/10


アカペラライブの変遷とチケット代金[2]
てことで[1]の続きである。わかんねえよ!!というアナタは一度、下へ下へとスクロールさせて、是非とも[1]に目を通してから戻ってきていただきたい。




戻ってきた?

…、てなところで再始動する「アカペラライブの変遷とチケット代金」では「アカペラ人」へと突入する。
まあ。ゴスペラーズ通史上、いわれるところの「芝居三部作」が此処から始まる。
「芝居三部作」というものの定義として、参加者として「こういうんじゃねーの?」と言えるところは
・メンバーも演じる人間としての参加がある
・ストーリー仕立てであり、明示されてはないものの一定のテーマを有している
ことだろう。前者のほうが条件として具体的であり、後者の、特に「一定のテーマ」という記述には微妙さを孕んでいるのだが。
で、その条件に叶った公演というのが
・アカペラ人(1999.1)
・アカペラ門(2000.1〜2000.2)
・アカペラ街(2001.3〜2001.4)
だといえる。
芝居形式では3作目であってアカペラライブとしては通算5本目だったのに「3回目」と書いたライター氏がいたことは忘れまじ(起爆)てなところだがなーん。てなところで、つまらない話は終わりにして。


■アカペラ人(1999)
まず、これまでは「ツアー」として全国数箇所で行っていた形式を、ここで改めながら手を入れていることに言及しよう。
北広島(@北海道)、大阪での生音ライブというのもあってか「段階的」という言葉を付記しながらも「一会場での複数日公演」を実現させたのが「アカペラ人」での功績ともいえよう。
と同時に、それまで、それぞれの地方でアカペラライブを観てきた者からすれば「アカペラライブの為に、東京まで遠征する必要がある」「首都圏に偏ってるじゃないか」といわれる起因でもあるのだが(苦笑)
当時のインタビューから「中島みゆきさんの夜会を意識して」ということもあり、この頃からは「ゴスペラーズのライフワーク」としてアカペラライブを行うことを決めたのだろうか?と思わされる次第。
そして、苗場公演があったのは「アカペラ人」からである。
で、次に「芝居」という側面から見て行こう。この時の芝居の筋立てとしては、ふたつの流れがあった(と思われる)。
・未来の考古学者がアカペラ人の化石を発掘して…
というもの、もうひとつ、その上に挿し込まれる形で繰り広げられた
・アカペラの起源(ハーバーショップ・ハーモニーからアカペラという形態が生まれた)
だから「未来の考古学者がアカペラ人の化石を介して(?)アカペラの起源を辿っていく」といったものに話としてはまとめられてしまうように思うのだが。
未来の考古学者に堺雅人氏(いまや人気俳優)を起用して、というものだったが、何の説明もなしにステージの上は白一色、舞台中央には床屋の椅子が一脚。雅人さんの開口一番が
「静けさ…!!」
でしたから、それ以前のアカペラライブの形態を知る人間、今回からアカペラライブを観る人間、観る人すべてが衝撃を受けて言葉もなかった、という点で、このライブは最高点に達するだろう。
更にこの時は、前半で立て続けに披露される曲が新曲(「靴を磨く」「賛歌」<これが後に「讃歌」と改題され、詞の一部修正が成された形でアルバム『FIVE KEYS』に収録される)にカバーする曲も新しいのばかり(「Tiger Rug」なんてーのもありました、ものすごい細かいスキャットをやっちゃうんですよ!!てのが)だわ、パフォーマンスとしても足を踏み鳴らしながらリズムを作っていく…etc.
その結果、此方は前半殆ど沈黙に次ぐ沈黙、だったという…
ただ、この時は「芝居形式」とはいうものの、実際に芝居をしたと思えるのは前半1時間で、後半1時間は前回「アカペラっぽいの好き」のような「ゴスペラーズのアカペラライブ(旧式)」という形に収まっている印象が拭いきれないで残った。とどのつまり「二部構成」の本編+アンコールという流れを組んだという按配にとれたといいたい。
最後になるが、この時のチケット代金、税込5,500円。
パンフレットが確か2,000円したかと思います(苦笑)
私は当時、この「500円の値上げ」を「役者を雇ったからだな(前回は役者がいなかったし)、だからだな、値上がりしたの」と結論付けそうになりました(自爆)
参考までに。当時のゴスペラーズ、そして音楽業界といわれる分野でのチケット相場は幾らだったのでせうか?てのを簡易的に。
1998年「衣・食・住」ツアー、チケット代金、4,200円(税込)です。
1999年、この後に行われた「FIVE KEYS」ツアー、チケット代金、4,200円でしたが、東京が4,500円でした。
他のアーチストはどーか?と思ったらスガシカオさん@NHKホールは4,725円(税込)っすねえ…
で、今、わかったこと。この年(1999年)の「SALTISH NIGHT」<TAKEさん出演時、まだSKOOP時代。と同じ値段だ(起爆)アカペラライブって…
しばし呆然。


この「1時間」芝居で、冒頭繰り広げられる「床屋の椅子に座る、未来の考古学者を囲んでの、化石役の5人によるモノローグ(ex.GTツアーにおける「残照」後を参照されたし)」で挿しこまれた、安岡による科白に、このようなものがある。
「今夜は、会えない」
このフレーズが個人的に、次の「アカペラ門」で、また意味を持つように思えるのは、まあ、次の話として[3]へと持ち込みますかね。
ここから先は長くなりそうだから、短いながらも〆。ではーん。

2002/07/09


アカペラライブの変遷とチケット代金[1]
そのものずばり直球タイトルだけど、いやーねえー、これ、「チケット代金」というの込みで面白いと思ったのだ(爆)てことで、始めてみたい。
秋にFCオンリーでアカペラライブ、年明けにアカペラライブします。言われたら「じゃあ、過去のどういったのだったっけなあ」というのを一度、自分で整頓したいと思っての記述です。では、ゴウ。


■アカペラライブの起源(?)
筆者がアカペラライブという言葉を初めて聴いたのは、1996年7月の「ゴスペラーズ坂ツアー1996・夏の陣」@日清パワーステーションの席だと記憶している。つまりはゴスペラーズを初めて観たライブでだ。
「12月に初の、アカペラだけのライブ、やりますから」
そして、この年の12月(クリスマス〜年末)に行われたのが「ゴスペラーズ坂ツアー1996・アカペラ貴族」である。

■アカペラ貴族(1996)
ステージ上は二段組、「衣食住」「凱旋門」と類似すると思えば話が早いかも。でも、今よりも無骨なセットからは設備面に当時はまだお金が(以下禁句)と思われる。
冒頭、PARCO劇場の奈落の底から階段を登って出てきた村上てつや氏前面笑顔仕様には、カッコイイというよりは「ここで笑わずして何時笑う!?」といった笑うほかないといった風情が(苦笑)
グランドピアノがあり(@PARCO劇場)、中盤から終盤にかけて、このピアノを北山氏が弾きながら他4人が三々五々に集い(ともすれば『あ○なろ白書』状態で)歌われた「AIR MAIL」によって、ゴスペラーズにおける「c/w名曲説」が本格的に印象付けられたといえるし、初期c/w曲の決定打として今でも人気を誇るのであろう。
これを経て、本格的に「c/w名曲折」が提唱されたと思われる。
アンコールを含めて100分(一日2回公演があった)、アカペラによる「なりきりゴスペラーズ」はない。
この時は現在ある芝居形式ではない、だが、各自の語りが曲の導入となっていく形を採用しており、それは後に通常ツアー展開でも使われるものとなっていく(ex.「FIVE KEYS」ツアーでの「I LOVE YOU,BABY」前の安岡氏MC、坂ツアー2000での「One More Day」前の黒沢氏MCなどを想像すればいいかもしれない。「GT」ツアーにおける「残照」後の全員でのモノローグからの「Dawn〜夜明け〜」は、その発展形といえよう)
各自のソロコーナーにて酒井氏「A Dream Goes On Forever」を歌い好評を博したのが、この時。パンフレットの販売はなかったが「Promise」の楽譜(表紙の写真が「待ちきれない」の写真で、だった)が販売されていたのが印象強い。
この時のチケット代金、税込で3,800円です。
一般発売で入手成功したのですが、ローソンチケットが出来て間もない時期にローチケ経由で奪取成功。近所のローソンで引出。ということもあって、私のチケット用紙って感熱紙なのだね(色のついたレシート用紙、または少し長さのあるATMの明細と思っても過言じゃない)。
「ぴ○」にしても、まだ1996年、チケットのサイズが大きいです(爆)

■アカペラっぽいの好き(1997)
この時は
・マイクなし
・マイクあり
ふたつのパターンに分かれており、曲構成、台詞回し、スタート方法も全然違ったものになっていたようだ(私はマイクなしのリスト@御茶ノ水カザルスホール、ツアー最終日しか拝めなかった)。
この時のFCのチケット配分について明記すると、札幌、仙台を除く会場が会員ひとりにつき1枚(爆)札幌、仙台のみ2枚であったため、私はこの時に「遠征する!!」と言ったのを覚えている(これから数年経過して、ドナルドさんと話した折に「仙台ね、当日券出てたよ」と言われて悔しかった、っつー(自爆))
前回を踏まえながら挑戦する、この頃はアカペラライブというものに試行錯誤して手を入れて…というのを頻度高く、やっていたのだろうと思う。マイクあり、なし、というのも「だからゆえ」だろう。
「或る晴れた日に」が初披露されたのが、この時。当時のタイトルは「「アカペラっぽいの好き」のテーマ」で、その歌詞も大幅に違う(この歌詞で歌われたバージョンは1997年12月、FM802のクリスマス特番におけるアカペラ・スタジオ・ライブにしか残っていない模様、私はそこから音源として入手に成功した)。
この時から削除されずに「或る晴れた日に」まで残った歌詞のひとつが「騒いだり手を叩いていいよ」のフレーズである。
「騒いだり手を叩いていいよ」というのは、アカペラゆえに手を叩くことも出来ず、入れたとしてスナップで参加するか(当時のライブで印象深いのは「Betcha By Golly,Wow」で客席からスナップしか聴こえなかったことだ。手を叩くなんてもってのほか!!というキツい空気があった。それくらい音に集中していたとも言える)あとは黙って観るしかなかった客席に対して、ステージ側からの「座ってないで立っていいよ、盛り上がっていいよ」というサインとして機能していたのである。
マイクなしのセットの時に拡声器を片手にボイパする酒井雄二、というのを拝んだのだが明記すべきだろうか(起爆)<ボイパだと音が届かないための苦肉の策。
この時のチケット代金が5,000円ちょうど(税込)、パンフレットも販売されていて確か…、1,000円だったかと。友人いわく「同人誌」
その、同人誌のようなパンフレットに驚いたが、メンバー各自が文章を書いていることを考えたらコストパフォーマンスとしては安いと思われる。


…、てなわけで伝わるものがあれば幸いです。
次回は「アカペラ人」から、1999年です。1999年1月ですね。
毎年やってると思いがちな「アカペラライブ」ですが、大きな間違いだぞ!!といって「その1」となる今回を〆たいと思います。ハオ。

2002/07/09


「Get me on」
中古CD販売屋で見かけて「うーむ」と思いながら拿捕は断念したんですが<持参済だし…。て今日は、その話ではなくて。
スイマセン、今になって「エスコート」210円[税込]で買いましたーーー、中古流出品を(自爆)
ゴスペラーズの皆様、関係者の皆様、印税に貢献できなくて御免なさい(爆)

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本題。
先日。同類なのだろうなー、この方は。某サカイストとしませう、この方と話をする機会に恵まれたので、その折に話していたことを採録しようかと思って。というのは、この折に
「酒井雄二が歌うから「Get me on」が過度なエロにならずに済んでいると気付く人が何人いるんだろー?と思ってね、アタシは」
てなことを喫茶店で話していたりするわけですよ(爆)
アタシ、普段から、こういう思考回路が回っているので、アルバムに関して「こういう風に思うんだけどな」ってのは正直、茶飯事なわけですよ。褒められるものじゃないんですよ、だから。
そういった人だから『FRENZY』というアルバムは完成された勢いのアルバムではあるものの、彼ら自体にも勢いはあるのだろうけれど、でも、その全てがフォーマットの上で踊っているようなアルバムになってしまった…、なんて思うわけです。
まあ、正直『Soul Serenade』よりは明らかに好きで聴いてるんだけどもね(自爆)

大昔、ってほどでもないな、数年前に「ウルフ」を聴いて思ったことのひとつが
「あの、ともすれば間違えると、えげつないサビが何故キツく、えげつなくないのか?」
ということ。で、その時に導き出した答えが「黒沢さんが歌っているからだ」という、答えとも思えない答えでもあったんですが。
SLTの佐藤竹善氏の歌を「爽やかにエッチ」と称した人がいて、その表現は本当に的確だわ!!と信じてやまないような私なんですが(「11月の記憶」に「幻に恋する日々」とか「Rendezvous」なんてそーだな、と独断)ああいった要素が薫ちゃん自体にあるわけですよ、てこと。
個人的に「脳内シュミレーショーーーーーン♪」と称しているんですが曲を聴く中で「この曲の、ここのリードがこの人なら?」ってのはやるんですね、それもあって出るんですが。

だから以前、私は「「Get me on」を年長組でやったら、それこそ「パスワード」二番煎じだ」と言い切ったんですが(@交換日記に記載済)「パスワード」二番煎じにならなかったし、しないでコアなマニアにまで新鮮なところを見せたなーと思えたのが「Get me on」という曲だったわけですね。
確かにエロな側面を歌っているし(これを「「君の奏でる、高いソプラノ」ですよ、歌詞」と主張した北山氏がいたことは見逃せない項目としてゴスマニアは語り継ぐべきだ!!)それこそ酒井武士、いや酒井節なわけでキー合わせの面で彼がいちばん有利だったのは事実でしょう。それに近いコメントをところどころ彼から残しているだけにねえ(起爆)

先日、THE BOOMのベスト盤を聴いていて。確か「真夏の奇蹟」を聴いていて思ったんじゃないかなあ…
宮沢さんって普遍的なものと同時に恋愛も歌える、そして、その恋愛モンがエロだああ!!(THE BOOMのデビュー曲は彼女の気を引くために毒を飲む、ですぜ?@「君はTVっ子」。兄さん、お気づき?)というモノもあるだろうと思うんですが、それが「キツくエロ」に収まらない。
歌い方を考えたら、宮沢さんって粘っこい、コブシも回すほうだし、パッと聴いて癖のある歌い方をする人じゃないですか?声も太いと思うし、存在感があると思うし、音が入り込んだ時に重さが程度よくある人だと思うし。
だけど、その彼がエロだったり恋愛の情景を歌うと紙一重のところで、私たちが感じたり考えたりしやすい下世話さ、ヤボったさ、えげつなさがありながらも、キツさから紙一枚分で「やや、かわしている」と思うんですね。
その状態を考えてみたら「ああ、これはゴスで喩えたら酒井雄二だなあ…」

これが安岡さんになると、彼のルーツに挙がるだろうチェッカーズ、藤井フミヤ氏に行き着いて最後、それこそ「素直にI'm Sorry」だの「ROOM」(♪何も変わらない部屋で君の香りが消えてく〜)に「Cherrie」、シビアなモノを切り出すとしたら正に「Song For USA」とかのベクトルの向き加減になるんだろうね、って思うんですよ。
だから、安岡さんのことを「歌詞をより具体的に、具体的な重さで見せていける人」とでもいうのかなあ…、てなことを思います。

まあ、こういったことを徐々に。不定期連載状態で書き出していきましょうかね?
そういった余波で。↓で最後「安岡さんにSOSの「eternel snow」、北山さんには…」なんて文章が飛び出しているんですけれども。その時に「酒井さんに「Bye Bye〜その日が来るまで〜」歌わせたら、どうなると思う?」と言い放ち、某サカイストを返答に困らせたことを付記します(大爆笑)
嗚呼、でも北山さんなら「if」でも良かったな…

2002/06/30


6.28
此処から先は28日のFIFA(TM)ライブのネタバレとなります、背景と同色で詳細を記入します。読みたい方は反転させてください、よろしく。

てことで大丈夫でしょうか?28日はトリがゴスだったんですが「彼らのことだから「なりきり」するかもしれないと仮定したら最後「なりきり」やって大団円?」「まっさかー」
が、本当になるとは。だったんです、後半?という読みはあったものの。CHEMISTRYがT-SQUARE後に出たところで「あ、倉木かゴスか」と絞れちゃあ、いたんですけどね。そこまでくれば楽勝でしょ。
肝心の曲順ですが
1.YOU NEVER WALK ALONE(a cappella)
2.エスコート
3.LOVE MACHINE
4.FIVE KEYS〜WE ARE THE CHAMPION[QUEEN]〜FIVE KEYS
5.Promise(a cappella)
と、最初と最後以外は見事なアゲ曲パレード。それでも、あれほどサッカー曲だった「Free Space」がスッパ抜けてるのね!!(起爆)<局が違うから?(再起爆)
ってのはあるものの、アレやるとしたら「凱旋門」オープニングを突っ込むだろうと思っていたんです。つまりは「ひとり」「靴は履いたまま」で「Free Space」で「エスコート」?
でも、やる曲予想をしていて複線は色々あって。そのひとつが沖縄で「LOVE MACHINE」「Promise」やった話。これをライブ前に入手したから「やるかも?」
ああいったイベントもの、ジョイントで。曲数が限られてくるとイントロデュースと同時に「試し」要素が強くはなりやすい。
実際問題、平井堅ちゃん(私は愛情を込めて堅ちゃんと呼ぶ)の場合なんてのは、公式アルバムに提供した曲+シングル曲をアコースティックで。
フルにアコースティックだとわかったところで「ああ、これはこの後のKen's BARツアー前哨戦、試験運転だ」と切り倒し、大満足しておきながら終演直後「やり逃げだ…」<待て。

さて。ゴスに関して1曲ずつ切りましょう。
「YOU NEVER WALK ALONE」は、久々に聴いた新曲のカバー、アカペラです。スペイン対アイルランド戦で、PK戦で負けたアイルランドのイレブンにサポーターが歌った曲という村上さんの紹介の元に。
もう、この時点で「村上ぃ…、てめえの思い入れが強いのはメチャメチャわかったぞ!!」そんなことを現場で再認識するなって、自分。
短めのMCを挟んで「光栄な曲」by安岡、ということで早速「エスコート」を。流石にシングル曲は覚えられているらしく反応も上々。
次いで入った「FRENZY」。そーぉんなゴスを知らない人の多くが「何?」と思ったのだろう、数秒間の場内の熱量のダウンを私は見逃さないぞ?(苦笑)
この曲で♪ナーナーナーのパート(客席も歌う)を忘れて次の歌詞を歌い出したのは村上さん!!あなたでせう、思わず歌ってしまった私が正直者なのか、隣のしすもさんに笑われました(自爆)
この日はツアーでは恒例?となりつつあるストちゃん(須藤さん)のベースソロがあるんですが、ストちゃん別件で不在、その代打に下野さんだったので、ギターの玉ちゃんこと玉川さんのギターソロを織り込んだ臨時編成。
「FRENZY!!」と叫んだ締めのあった直後に、あの仰々しい(笑)、誇張の激しいイントロ。そう、「LOVE MACHINE」っすよー、娘。じゃないほうの(というか?)
こうなったら指差しのダンスっからやらな損でせう、それこそ私などは壁ダンスまでしてましたから<身体に染み付いたらしい。それにしても、大舞台でリードを取る酒井雄二に成長を感じる瞬間でした。
そして「FIVE KEYS」はブレイクタイミングで曲が変わって「WE ARE THE CHAMPION」ですよ、QUEENの。まさかゴスでQUEENやるとはねえ…(遠い目)
思い出さなくとも「WE ARE THE CHAMPION」てサポーターが歌うんだよなー、と思うと納得の選曲ですね、これは。皆が歌えなくもないし。
で、「僕らはサッカーを応援します、皆さんに約束します」というMCから「Promise」で〆。

私は最後に回ったゴスの時に「思ったより客が帰らない」ことに驚いたんですね、ご一緒したしすもさんは逆で「ゴスの時に帰る人が多い」と洩らしていたんですが、私は全く逆。
そういった意味で「すごかった」ですね、あと盛り上がり具合も最後のブチ切れってのもあったのか、ケミとゴスが予想外に沸点高かったように思います。
盛り上がりに関しても「すごい」ことだけど、過去、イベントやジョイント観ていて「ゴスは下手」そう見切る私がいたので、そう普段言い切る人が「良かったほう」と言えるのは成功の部類なんですよ、曲順、内容といい。
けれど。それだけゴスペラーズが観たい人がいて、というのを、こういった場所で垣間見たというのでせうか。その前に出た倉木さんで帰るだろうな、むしろ観たい人が残るだろうと思ったら「もっと帰るよお?」
私は「そうなった時、どうするんだろう」どころか、そうなったら楽しいと思いました。そういう状態に置かれた時に限って、客が悔しがるくらいのことをしかねない彼らがいるだろうから。
確かに時間がおしたので9時半終演とあったものの、実際「Promise」歌ったのは午後9時40分過ぎです。始まったのが9時回ってたし。
あと、このライブに、W杯に関して、コメントがいちばんに多かったのは彼らかと。5人、ちゃんとひとりずつ話をしたから時間的に長いというのもありますが。
そして、しすもさんの指摘なんですが「いちばんW杯の趣旨がわかっていたのは、出演者の中では彼らだった」というのは、現場にいて思いました。
まさかね、冒頭、過去の試合の話をして、それを導入に歌われるとは思わなかったですし。
そんなところでしょうかね、感想とか思ったことは。こんなところでいいっすかね?(と同意を求めるな、アタシ)
個人的に、このライブでの収穫は「ケミ、川畑くんがいいぞ!!」でしたので<待て待て待て(自爆)逃亡。



てところで、大丈夫でしょうか。
最近、Skoop On Somebodyの「eternal snow」を安岡リードで、「Come Back 2 Me」を北山リードでやらしたら怖いぞ?ハマり過ぎて、とボヤくんですが、どうなんでしょうか?それは。


2002/06/30


行方
機会あって、ゴスペラーズの過去のパンフレットを読み返すことにした。「機会あって」といっても手元に転がしていたから「ふんじゃまー久々に読むべ」となったのだが。
それこそ「坂道発進」に始まって「アカ好き」、現在進行中の「GT」までフル装備、積んだ状態で。

興味深いな、と思ったのが「FIVE KEYS」のパンフレット(色違いで5冊の冊子が入っている、収納がやや大変)の黄色い冊子にあったマイク氏の文章である。
このくだりにフニャッとなったのは彼だけじゃない、数年後、こうして読み返した私をもだ(苦笑)

(前略)『FIVE KEYS』でも当初は「重なりあう5人の手」、「カギ穴が5つある不思議なドアノブ」という抽象的なアイディアや「ホテルのスイート・ルームでゴージャス感を出す」等のアイディアがいくつかあがっていた。彼らがまとめてくれた"5"という数字にまつわる詳細な資料の中から、その語源から見ると正確ではないが「五欲」と「五色」をイメージとして活かし、「KEY」を鍵と取るか、音楽的な"キー"と捕らえるかなど僕としては珍しく"真面目なコンセプト・ミーティング"を重ねた。そんなにいろいろと考えて打ち合わせをしたはずなのに、後日、中山の姐御から出てきた言葉は「なんかぁ、近未来のあるジャケットがいいんですけどぉ〜」とギャルばりな早口で何とも変化球な言葉。ちょっとフニャっとなった。(後略)
「FIVE KEYS」ツアーパンフレット・Yellow、p.5より抜粋


と、このくだりが私の「フニャ」の対象となったのだが。

だって、それまでの真面目なコンセプト・ミーティング、全部チャラですぜ?(苦笑)彼女の一言で。ブレーン・ストーミングならまだしも。
その後をどうフォローするかで彼女の真価が本当に問われるわけですよ?それはそれは。
会社にいるとしてくださいよ、この間は「Aの方法で行きましょうか」で終わったミーティングがあって、本人は「Aなんだ」と思っていて、その方法で進める意欲マンマンな矢先に「あ、Bにしよっかあ」と言うんですよ、上司が。
それで「Bにしないとならないぜ」ってなるわけでしょ?
こんなことが連続したら仕事、しづらいと思うんですよね…。部下として信用するかしないかとなると、頻発したら正直、この下で仕事をしたいと思わないだろうから。
これが一時の、というものであって欲しいわけですけど。

でも、同時に思うことがある。
幾ら男女雇用機会均等法が成立して、男女の職場での性差別(差別はよくないと思うが、男性に出来て女性に出来ない仕事もあること、その逆を考えれば、身体面を考慮して「性区別」は必要だと思う)がなくなってきたとはいえ、女性は幾らでも働くことが出来るけれど、女性が長年働き続けるというのは正直、難しい。
今もって女性が職場で軽んじられているとか、そういうことではなくて(まだ世間の一部あるのだろうけど)将来を考えると、という意味合いで「難しい」というのだ。
仕事を続けるうちに、男性に比べて仕事で幸せになれるのは、女性の中でも本当に一握りなのだという事実に、女性であるほどブチ当たるのだ。
その幸せを得るために天秤にのせて、いろんな条件をハカリにかけて、仕事に不利だと思えば、仕事を選ぶ彼女たちは捨てることになる。
それは「気ままに働く」ことであったり。
それは「結婚する自分自身」であったり。
そういった意味で、女性は男性より仕事のために捨てるものが、ややもって多いようにも思えるのだ(その代わり、男性は男性で背負うものが多いと思う)。
かといって結婚すれば幸せになれるのかというと、そこはそこで難しいところなのだ、が(苦笑)いやー、実際に『○ぅなってるの!?』とか観てると「結婚も不幸だ」と思える思える…、という内容が堂々、テレビでやっているのだから。それが氷山の一角だとしても。

上に書いた、そういったことが身をもってわかるだけに、中山さんのしてきた苦労もわかるのだ、が。
でもなあ…、と思ったのが昨年12月の『日経WOMEN』インタビュー記事であり、その時に「本当は書きたいことがあったんだけど、もう少し練ってから出します」と書き逃げた内容だったりする。

「仕事で幸せになった」と胸を張る女性たちの中で、彼女だけが、彼女たちの輪郭と違うように思えたのだ、時として捨てるものを捨てて(捨てずに活かした人もいるが)仕事の成功を掴んでスッキリとした印象を此方に残した女性たちのインタビューの中で、彼女は違うと思えた。
彼女のものだけが異質に思えたのは商売主義に走ったからとか、そういった理由じゃなくて(他のレコード会社でも、他のプロデューサでも、同じことをやるだろう)彼女の言葉の裏に、徒然に書いたような、上のようなことを個人的に垣間見たから、かもしれない。
違う、そう思えたのは。

2002/06/17


Slowly but Surely
タイトル↑で曲のタイトルをまた使ったか?と思った方、同士です。誰の曲かわかった人、います?

ゆっくりと、だけど確かに。ゴスペラーズはそういった歩み方が出来ていたのだろうか?
むしろ過去をたどるほど「どうも、そうではないな」という思いを抱く。
それは、メンバーチェンジの挨拶に出向いた先で告げられたデビューシングルのレコーディングの話、この話が私にそんな思いを抱かせるからだろう。

ゴスペラーズがビジュアル、サウンド、トータル面でコンセプトワークというものを掲げて動きを始められたのは、きっと1999年、2000年のことなのだろうと思う。
『FIVE KEYS』というキツいアタックのあるアルバム。当時隆盛を極めるだけ極めただろう「女性R&B」に対して「男性サイドからのR&B」という言葉を使ったのは、あの当時では彼らだけだった。
男性R&Bがもてはやされて、その旗手に挙げられるようになったのは、それから2年後の2001年以降のことだ。
そして、手ごたえのあるコンセプトワークがもっとも出来たのは、2000年。
『Soul Serenade』という、ややもってしてバラードの多いアルバム、そして提げての「ゴスペラーズ坂ツアー2000」ではなかったか?


今回のツアーを観ていて思ったことのひとつに「需要と供給のバランス」が何処かしら、あった。
この言葉で言いだせるまでに何ヶ月も要しているのだが(自爆)

需要と供給。
チケットの問題も、その数割にはある。
しかし、私が言いたい「需要」と「供給」というのは「客がステージの上に求めるもの」と「実際にステージの彼らが客席に与えることの出来るもの、期待を裏切らないだけのライブ」といえばいいのだろうか。
需要を「客の持つ期待」という言い方も出来るし、供給を「客の期待にこたえるだけのステージアクト」という置き方も出来る。

未曾有のチケット争奪戦の結果[特に前半戦]を直に体感しながら「おかしい」という言葉を何度も繰り返しては飲み込んでいた。
その、おかしさの原因が解けなかった。
チケットが取れないから、「おかしい」のではない(それは前述の通り数割あったけど)。
理由を明確に出来ないままに「怖い」そして「おかしい」と思った。
「何処で、そういったバランスが生まれてしまったか?」と思った。
それは実際にツアーを観始めてからも、あった。
いや、むしろ、それをツアー初日を迎えてしまってから余計に痛感した。
この人たちは、どういった人を僕らの客を思っていて、それが客の期待なんだと思いターゲットにしたのか?と思った時に。

「坂ツアー2000」までが、客とステージは対等のバランスで成り立っていたとしたのならば。
現ツアーの需要と供給のバランスはどうだろう?

彼らを求める熱量は今まで以上でしょう、どの会場も。
だからこそ彼らは自分たちの現実を、その足元を見ている。
それに彼らが気付けていると思えば思うほど(気付いてないかもしれないけどさ)この現状が時として歯がゆくも、時には悲しくも思えるのだ。

2002/06/10


東京
くるりの曲〜(大爆笑)
個人的には「ワールズエンド・スーパーノヴァ」がお気に入りだが。

さて。
今日が中野サンプラザ初日だと知って
「え?」
一秒にも満たない思考停止と共に、心に妙な異物混入感を味わったところだ。
人間の記憶というものは実に自己都合の塊なんだな、と思うのは、こういう時である。自分に関わりも、行くこともない公演のことは幾ら好きなアーチストであろうと「行かない」と決めたら最後、当日になるまで、いや他の地域ではライブ当日であろうと「かかわりがない」からスッパリ他人事になるものだということ。
いやはや、恐ろしい…

「永遠に」のブレイクの予兆を感じたのが2000年12月8日、「ゴスペラーズ坂ツアー2000」での、中野サンプラザ初日でのことだ。
FC優先で出したチケットは、オーケストラピット含めて会場の前半分だということを場内に入ったところで知ったのだが、1階席も会場の後ろ半分という場所で観たもの。
いいや、客の空気に嗅ぎ取ってしまったもの。
ゴスペラーズの音楽を聴きに来たのだろう、けれど、それは「永遠に」という曲を期待して、それを求めて、来ているのだということ。
それは悪いことじゃない。
それがヒットするということだから、新しい人の増えた証拠なのだから。
だけど「売れたい」と思い、事実、ヒット曲を手に入れると、どうなるのか?ということを初めて、彼らは目にしたのだろう。
眼前、場内の空気で、感じたのだろうと思う。
ヒット擬似的状態に対峙したのが「中野サンプラザで初めてやった、2000年12月8日」のことで、そこから2001年「凱旋門ツアー」の選曲のからくりに納得を覚えるわけだが(苦笑)

知人から以前
「ゴスペラーズって結局は東京で活動が始まって、東京がやっぱりいちばん会場のステップアップも早ければ、公演自体も複数日とか、こう、大きくなりやすいじゃない?て考えると、東京ってヤツらのホームグラウンドだよね?」
そう言われて「確かに」とこたえたのだが。
「GT」ツアー前、その「ホームグラウンド」の東京で彼らを観たいと思えなかった私がいた。

東京だから、ホームグラウンドにいるから、といって。わかっているようでいて、実は侮れないと思うんだけどね?てことを私は思う。
地方の持つ「待ってました」という爆発するエネルギーも、それに呼応するように歌を披露するメンバーが好きだと思える半面で、思うことがそういうことだったりする。
頼むよ。

2002/05/24


「翳りゆく部屋」
自分もちのサイトに書こうか、こっちに書こうか迷ったんですが。ま、いいや。こっちに書くことにしました、非常にたわごとなんで。


「残照」を聴いていて思ったこと。
「これってさー。ともすりゃ、ユーミンの「翳りゆく部屋」じゃない?」
ゴスペラーズが参加したユーミンのカバーアルバムに、椎名林檎姫バージョンがあるので歌詞はわかると思います。
なので実際の歌詞はそっちに任せた(笑)今ならネットで歌詞検索サービスもあるから、捜して引っ張ってみても良いと思います。
あると思いますよ?

まあ、最初にキーにしたのは「西陽が射し込む あの部屋」ってのにあったんですけども。ね。
そんなことをストンと思えてしまったのだ。で、つらつらと思ったことを羅列する。


端的に言えば「翳りゆく部屋」は、あなたと別れる歌だ。しかも、その部屋の状況も含まれた、そういった歌。
愛していた人と別れる、別れた心情と情景とを歌う、歌だ。
時間経過からしたら「残照」の状況は「翳りゆく部屋」の状況より後ろに設定可能だと私は思う。
むしろ「西陽が射し込む あの部屋」の状況が「翳りゆく部屋」に挿し込まれるように思えてならない。

ところが。歌詞カードを双方操るとわかると思う。
ぜんぜん違う(自爆)言葉が、考えが、逆なのだ。
真逆。
そういえる。

「どんな運命がふたりを遠ざけたの 輝きはもどらない」と歌う「翳りゆく部屋」と相対して。
「星はいつしか消えるけれど その輝きは 時を越える」と歌う「残照」。
…、輝きねえ(苦笑)
「輝き」がキーワードになった途端に、考え方がまったく逆に捉えているわけで、こうなると冒頭に出た発言なんてウソじゃないかと思われていいくらいだ(大爆笑)
そして。
たぶん。いや、かなりそうだと思っているが。決定打は「毎朝、毎晩、あなたを失っていく」という「残照」後半の、歌詞カードにないフレーズにあるかもしれない。
「翳りゆく部屋」は、先ほど出した箇所に、こう続けているのだ。だから「残照」と真逆だと思ったのだが。
「わたしが今死んでも」

「死」という絶対的かつ決定的なトドメを配した「翳りゆく部屋」と。
あくまでも「生」が絶対必要条件としてあって、失うことを止めることが出来ないでいる「残照」と。
失うから、生きる限り失うから死ぬことまで行く、断ち切れる人と。
失う中で、生きる限り失っても生きることをやめない人と。

あ、あれ?(爆苦笑)あれええ???


…、ゴスペラーズ版「翳りゆく部屋」こそ「残照」なのかもしれないわ(苦笑)てことで、オチ、いいですか?(自爆)

2002/05/15



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